誰もいないこの場所に

 

f:id:yamagazakuro:20150815153425j:plain

 

群馬県民の日の昼下がり。『広瀬川ラビリンス』の会場だった交水社へは基本チャリンコ通勤していたので、日曜の終演後に持ち帰れなかった機材や備品などを車で引き取りに行った。
交水社に着くと、ちょうど広瀬川の対岸の遊歩道にあるベンチで、千原ジュニアと子役の女の子(小学2、3年生くらい?)が映画の撮影中だった。ここではつい3、4日前に鈴木優理子さんと広末知沙さんがあっちへ行ったりこっちへ来たり、川の流れや周りの緑とたわむれるかのように踊っていたところだ。対岸の遊歩道にはベンチに座るふたりの役者を中心に20名ほどのスタッフが散らばって立っている。このシーンの出演者がふたりでも映画の撮影にはこんなにたくさんのスタッフがいるんだな。このクルーは先週あたりから弁天通りのお店のセットや橋の上などで撮影を続けていたようだ。
わたしは荷物の置いてある2階に上がると、持ち帰るものを片付けつつも外の様子が気になって、窓のカーテンの隙間からこっそり撮影の様子をのぞいたり、撮影が中断すると交水社の入口の脇に停めた車に荷物を運び入れたりしていた。すると対岸からひとりの男性スタッフがこちらに寄って来て、次のシーンの撮影が終わるまで車のドアの開け閉めを控えるようお願いされた。
そのスタッフから聞くところによると、ほぼストーリーの順番通りに撮影してきて、今撮影しているのは物語のクライマックスのシーンらしい。わたしは車の前にぼーっと立っていたら、演技をしている千原ジュニアの目線にわたしが入ってしまうかもしれないので、彼が演技に集中するために少し車の脇に移動してくれないかと言われた。
それがどんなシーンでどんな演技をしていたかはネタバレになるのでここに書かないが、興味のある方は来年秋の公開を待たれたい。確かにわたしが視線に入ると気が散るだろうなというような重要なシーンの撮影だったと推測する。
千原ジュニアはテレビとかの仕事もあるので、何度も前橋の現場との往復をしながらの撮影だったようだ。来年秋に公開される映画館は全国で50館程度の予定とのこと。独立系のプロダクション製作による映画らしい。
それにしても誰もいないこぎれいに片付けられた交水社の2階に、ひとりでぽつんといるのはなんだかさみしくてせつなかった。先週末には出演者やスタッフやお客さんが何十人もここにいたのに。
劇場でも劇場じゃない場所でも、公演やパフォーマンスが終わって後片付けをしてそこが元の状態にもどって、さっきまであったものが何もなくなったことを目の当たりにするのは、ひとつの舞台が無事に終わったことの達成感をかみしめる時間でもあるのだけれど、数日してまたここに来て、薄明かりの誰もいない場所にひとりでただずんでいると、広瀬川ラビリンスでご来場のお客様を迷宮に誘うつもりが、自分が迷宮に迷い込んだままになっているようでもあり、それでも終わったことは終わったこととして、どうもありがとう!とこの場所に礼を言って外に出た。
広瀬川の対岸には、さっきまで演技をしていた千原ジュニアも女の子も映画の撮影クルーも誰ひとりいなくなっていた。
小出和彦さんに作詞してもらい、わたしが曲を付けた『月と川とじめん』は、公演の本番では前半しか歌わなかったのだけれど、いずれちゃんと最後まで歌ったものをレコーディングしておこうと思う。
 
ここに歌詞を再掲載しておきます。
 
『月と川とじめん』
 
 濡れた光はじめんにおちて
 森の上には赤い月
 ゆれる川面に白波たてて
 吹き出す風で砂が散る
 
 きょうとおなじあしたがくると
 疑うことなどなかったけれど
 それを奇跡と知ったのは
 しばらく経ったあとのこと
 
 あなたの生まれるずっと前
 誰もいないこの場所に
 月と川とじめんがあったのよ
 光と闇があったのよ
 青い光はじめんを染めて
 雲間ににじむあわい月
 黒の川面を背ビレで裂いて
 千の魚がくねり出す
 
 きのうとちがうきょうがくると
 予言のひとつもなかったけれど
 それを最後と知ったのは
 やはり終わったあとのこと
 
 わたしの生まれるずっと前
 誰もいないこの場所に
 月と川とじめんがあったのよ
 光と闇があったのよ
 わたしの死んだずっと後 
 誰もいないこの場所に
 月と川とじめんがあったのよ
 昼と夜があったのよ
 
 

チーム:コード・ガドルフ

 

f:id:yamagazakuro:20151019210633j:plain

 
 演劇作品『コード・ガドルフ』のスタッフ、出演者からのメッセージです。

  

小出和彦|脚本・出演

今回脚本を書きました。あたらしい誰かとの出会いがわたしを変えてくれるように、また長い誰かとの信頼がわたしを支えてくれています。わたしという事象は概ねそのようにつくられてきました。今後もそうでしょう。今回もまた幸福な作品づくりがあり、それはわたしの運のよさでもあります。出会うほどに葛藤して事象は複雑になっていきます。わたしはその複雑さを複雑なまま表現できたらいいなと考えています。
 

荒井正人|演出

もともとが世界はさまざまなスピリットの交合するところであったとすれば、その移動の航跡をコリオグラフすることがすでに演出ということなのだろう。演者小出くんは二十年以上も前からその動き、たたずまいは、よく知っていると思っていたが、そのスピリットの埋蔵はそうとうなものになっていた。今回招集いただいた植松、多賀谷両嬢はミュージカルの才能をある意味では削り取るところになりはしまいかと危惧しながら、感情を横溢できない演技をしいていたが、なんのことはない、二人ともに、集中ある鬱屈を愉しむようになって、存在感が日ごとに弥増しになっていくのを感じる。堀口さんのたたずまいは飛び回る余計なものをおさえる説得力があり、まさに適役。ダンサー山賀さんの胡乱を含んだ存在感はこの劇の川幅を決定している。小野田さんのオトが何より、交合するスピリットの輪郭をコンダクトする、まさに霊媒師である。そして光の手配を昼から夕べ、そして溶暗、くらがりのなかへ差配する坂川くんが加わって、この『コード・ガドルフ』はどんな「幻灯」となるか。お楽しみいただきたい。

 

f:id:yamagazakuro:20151019211009j:plain 

 植松知音|出演

共演者の多賀谷とはもう10年の付き合いになります。ミュージカルを始めてからも今年で10年目。節目の年に新たなジャンルの舞台に出演することになったのも、なんだか粋な偶然だな、と感じます。ずっとミュージカルをやってきましたが、歌わない踊らない、いわゆるストレートプレイとは今までほどんど無縁でした。音楽、メロディ、リズムのある舞台空間に慣れすぎている私たちにとって、それがないのは、どこか異空間に迷い込んだよう。稽古場での指摘も、予想の斜め上をいく新鮮な内容ばかりでした。「人間…じゃないな。概念だよ概念」ん?どう言う意味?「重心をつま先だけに置かないで」あぁ、リズミカルな所作を意識するからつま先重心で動いてるんだ、私。セリフを情感たっぷりに言わないで」「もう棒読みして(笑)」待って。ト書き読むのすら感情込めちゃうのに(笑)。自分が「ニュートラル」だと思っていることが実はそうではないんだ、ということが、稽古が進むにつれわかってきました。『コード・ガドルフ』という新しい世界への挑戦は、まだ続いています。

 

多賀谷美紀|出演

高校生の時、はじめてミュージカルに出会ってから10年。大学に通いながら…仕事をしながら…なんだかんだ今でも舞台に立ち続けています。ミュージカルでは、歌うように台詞を言い、踊るように歩き、登場人物はすべて「美しく」なければいけないと叩き込まれてきました。しかし今回は、真逆でした。ただ歩くのがこんなに大変だとは思いませんでした。そして自分なりに考え抱いた感情を伝える舞台ではなく、観客に考えさせる舞台というのが本当に新鮮で“棒読み”はとても困難でした(笑)。脚本を頂いたとき本当にちんぷんかんぷんでした。今は、なんとなーくわかってきました。続きは、観てくださる皆さんと一緒に考えます。

 

堀口美奈子|出演

『コード・ガドルフ』を上演する交水社の2階は閉店当時の記憶を留めています。フロア隣の小部屋の壁紙には色紙で作られたマスコット達が残り、奥のカウンターにはずらりとお酒のグラスが並んでいます。このお店は、基本女性のみ入店可能、お子さん連れOKがコンセプトの飲み屋だったそうです。どんな女の人達が、どんな話をこの場所でしていたのだろう。ここに連れられてきていた子ども達は、どんな大人になったのだろう。そしてその人達にとってこの場所やここで過ごした時間は、どう記憶されているのだろう。記憶は、その時々で塗り替えられていきます。そう考えるとワクワクもするし、なぜか切ない気持ちになったりもします。お店に関係した人たちが今、幸せだといいなと勝手に思います。今回のお芝居は、みてくださる方の心にどう記憶されるのでしょうか。怖いと思ったりするけれど、ガドルフ関係者の方々をみているとだいじょうぶと思います。会場でお待ちしています。どうぞよろしくお願いいたします。

 

山賀ざくろ|出演

前橋の演劇人、見るべし!! 群馬の演劇人、見るべし!!


小野田賢三|サウンドデザイン

月曜の稽古が終わった折、小出くんから昨年行われたサミュエル・ベケット展のカタログを見せてもらいました。その中にはベケット、ジョイス、ケージ、ドゥールーズ、カールストーン…。20世紀の巨人たちの名、難解で突き放すような作品を残してきた巨人たちを見つけることができました。彼らはたくさんの”わからないことを”わたしたちに…。”わからないこと”への好奇心が動機となり私自身を揺さぶり続けました。”わからないこと”を凝視め熟考し続けたことを、ここ広瀬川のほとり交水社で再構築し、”わからないこと”を”わからないこと”のまま演劇という対話の場に提示できればいいな!って思うところです。
2年前にアーツ前橋というアートの火が灯った頃から小出くんと芸術や哲学について語るような機会を持つことができました。今回はざくろさんのお膳立てのもと、素晴らしい舞台人たちと作品作りに参加できること、関係全ての方々に感謝しています。ありがとう、よろしく!!です。

f:id:yamagazakuro:20151022000116j:plain

”哲学者たちの饗宴” アンスティチュフランセ・神楽坂 2014年

〜ジルスッタサールと共に食と音のパフォーマンス〜

 

坂川善樹|照明

『コード・ガドルフ』に寄せて
今回照明を担当する坂川です。20代前半から小出作品を拝見し、昨年は演者として小出作品を堪能したわけですが、その小出作品をなんと、高校時代に常勝共愛演劇部の荒井先生(鬼軍曹だと思ってた)が演出するという事で胸が躍ります。初仕事となる小野田さんもどんなお仕事をされるのか期待大。そして何より期待大なのは植松、多賀谷の両名。この二人は前橋市民ミュージカルにて1年お付き合いいただいた女優さんたちですが、打ち上げの日にまだ物足りない顔をしていたので誘ってみました。私見では、小出作品は絶対ミュージカル女優を想定していないだろうから、えらい化学反応を起こすのではと思っております。小出作品の要の堀口さんからも、「存在する女優」を見せていただける事と思います。今回は劇場が店舗という事で、照明も難儀ですが、こういう場所と、前後に連なる素晴らしい企画に誘っていただいた山賀ざくろさんに感謝!!

 

f:id:yamagazakuro:20151019210530j:plain

 

伊香保アバンギャルズ プロデュース公演「広瀬川ラビリンス」

☞ 公演情報   アーチスト情報  チラシPDFファイル

 

 

女子高生的迷宮論  山賀ざくろ

 

 

f:id:yamagazakuro:20151021155206j:plain

写真:小熊栄

 

伊香保アバンギャルズは群馬出身の女性舞台芸術家のパフォーマンスを披露する企画として発案したものなので、男のわたしは本来ならプロデュースに専念すべきところを、代表特権を行使するがごとく出演してしまうのはいかがなものかと内心では思っている。なので過去2回の本公演ではわたしが出演するにあたり、石坂亥士さんを引っ張り出して彼の演奏の力を借りて、三番叟もどきの怪しい出で立ちの仰々しいダンスを踊ってお茶を濁した。番外編を除いて今回で3回目なので、もう別のことをしないといけない。
歌を歌いながら踊ろうか。まだ夏真っ盛りの2ヶ月ほど前、小出和彦さんに〝広瀬川〟〝迷宮〟あたりをキーワードに作詞をお願いした。小出さんには2年前のアーツ前橋グランドオープン時に前橋一中合唱部の生徒さんに歌ってもらった ♪カゼイロノハナの作詞もしてもらっている。はたして今度の詞も、風景を描写する言葉とともに永遠に繰り返される生と死の時の流れを想起させる詞になっている。歌詞を紹介する。この曲を歌いながら踊るかもしれない。
 
 
『月と川とじめん』
 
 濡れた光はじめんにおちて
 森の上には赤い月
 ゆれる川面に白波たてて
 吹き出す風で砂が散る
 
 きょうとおなじあしたがくると
 疑うことなどなかったけれど
 それを奇跡と知ったのは
 しばらく経ったあとのこと
 
 あなたの生まれるずっと前
 誰もいないこの場所に
 月と川とじめんがあったのよ
 光と闇があったのよ
 青い光はじめんを染めて
 雲間ににじむあわい月
 黒の川面を背ビレで裂いて
 千の魚がくねり出す
 
 きのうとちがうきょうがくると
 予言のひとつもなかったけれど
 それを最後と知ったのは
 やはり終わったあとのこと
 
 わたしの生まれるずっと前
 誰もいないこの場所に
 月と川とじめんがあったのよ
 光と闇があったのよ
 わたしの死んだずっと後 
 誰もいないこの場所に
 月と川とじめんがあったのよ
 昼と夜があったのよ

 

 

f:id:yamagazakuro:20151021155420j:plain

 
さて、冒頭の写真。2007年に群馬県立女子大学の学生の自主企画『屍♡ときめくダンスツアー』で大学の体育館で女子高生に扮して踊っているわたしです。この企画は【やることもなく鬱々としている学生(屍 shikabane)は、このイベントを通してどうなるのか。アートパフォーマンスと可愛い屍の初のコラボレーションです。お客様を絶対にみたことのない瞬間へご案内します。】をキャッチフレーズに、数組のダンサーと県女大生有志が女子高生に扮して、キャンパス内のあちこちでパフォーマンスを繰り広げるというものだった。上の写真のように屍だった女の子たちは、わたしが椎名林檎の♪夢のあとをBGMに激しく踊る過程でだんだんと覚醒してきて、最後は皆でcapsuleの♪Sugarless GiRL に乗って踊りながら体育館から外へ駆け出して行き、円形広場で大きく両手を広げ鳥になって羽ばたき続けるというストーリー仕立てだった。

 

 

 

わたしの女子高生ダンスは2005年初演の『ヘルタースケルター』に始まる。作品創作のきっかけなどは山賀ざくろウェブサイトの作品紹介のページ(スクロールして下のほう)に詳しく書いてあるが、初演時の映像を見ると、自分の意志とは関係なく、スカートとウイッグを身に付けさせられて無理矢理踊らされている男が、戸惑い迷い逡巡しながら踊っている様が映し出されている。そういう演出を狙ったわけではないのだけれど、そうなってしまった。その後何年かは女子高生ダンスをずいぶんといろいろなところで踊った。でも当初の探求すべき課題であった、スカートをはいて踊って女の子の気持ちがわかるようになったかと言えば、そんなことは全くなかった。ただ、何年か前にAbe “M” ARRIAさんといっしょに踊ったときに、Abeさんがやたらわたしのスカートをめくろうとして、それが非常に嫌だった。小学生のとき、クラスの女の子のスカートめくりをして、嫌がられて先生に叱られもした。なるほどスカートめくりをされるとこんなふうに嫌な気持ちになるんだ!というのが、40年もたってようやくわかった。当時わたしがスカートめくりをしてしまった女の子たちに心の中であやまった。ごめんなさい。
 今回は久しぶりに女子高生になろう!とも考えている。でも、わたしの次にAbe “M” ARRIAさんが踊る。Abeさんとは少しコラボする時間も作る予定。だからスカートをはいて踊ったら、またスカートめくりをされてしまうだろう。さあ、どうする!?!? 悩む、悩む、悩む。本番は3日後だ。

 

 

f:id:yamagazakuro:20150815153326j:plain

 
今回のチラシ(フライーヤーっていう言い方のほうがカッコイイけれど、わたしはこちらのほうが親しみがある)の表面のベースになっている写真は、交水社近くにある広瀬川の交水堰を流れ落ちる水しぶきをアップで撮影したものだ。高さにして1メートルあるかないかの落差なのにゴーゴーと激しい音を立てて水が流れ落ちる様は、すぐ近くで見ていると迫力があるし、さらにズームインして飛び跳ねる水滴の動きを見続けていても飽きない。
元の写真は、曇りの日の夕方近くに撮影したので、グレーっぽい色味だったが、色彩補正で濃いブルーにした。前橋文学館近辺の広瀬川の色彩のイメージは、川べりの木々の緑が映り込んでいるから、前橋市民なら誰でもが〝黄緑色〟をイメージするだろう。今回は公演タイトルの『広瀬川ラビリンス』のイメージに近づけるべく濃いブルーにして、暗い迷宮に迷いこんでしまった感じをビジュアル化した。チラシのデザインは毎回お願いしている寺澤事務所・工房の寺澤徹さんにやっていただいた。
チラシの裏面のベースにおおきな渦を巻いた絵柄が敷いてあるが、これはわたしの指紋。朱肉を付けて紙にペッタンしたものを拡大してレイアウトしてもらった。こうしてみると指紋は出口のない迷宮のようにも見える。そして指紋のある人の指の先端は、ぷにゅぷにゅしていてさわると気持のよい肉球みたいでもある。この指先でわたしはキーボードを叩いてあれこれ考えながら文章を作っている。テーブルのつるつる、自分の髭のザラザラ、キュウリの表面のデコボコも指先が鋭いセンサーになる。

 

     め く る め く 迷 宮 

               も し く は 

                   肉 球 く る く る 

 

  伊香保アバンギャルズ プロデュース公演「広瀬川ラビリンス」

  ☞ 公演情報   アーチスト情報  チラシPDFファイル

 
 
 

なんばしすたーず  南波圭|南波早

 

 

f:id:yamagazakuro:20151018223154j:plain

「わたしのおやま」より

 

なんばしすたーずの南波早です。
それでは、なんばしすたーずの解説をします。
ある日ウチの長女ちゃんが、「なんばしすたーずをやろう」と言いました。私は暇だったし「いいよー」といいました。
最初はそんな軽いノリです。
そんな軽いノリだったので、しすたーずを始めて2年くらいは、しすたーずは私のものであって私のものじゃありませんでした。
これは口では上手く説明できません。
こんな口ベタな私が、私たちが一からモノをつくる事を始めたんです。
さぁ大変です。
よくケンカをします。よくダウナーになります。よくつまみ食いをします。よく寝ます。一緒に住んでいるから練習時間がいっぱいあります、だから逃げられません。
しすたーずの稽古はいつの間にか始まり、いつの間にか終わります。どちらかが飽きたら終わりです。
まぁ決まって先に飽きるのは私で、いつも長女ちゃんに怒られますが、長女ちゃんは多分私の事が大好きなので、いつも折れてくれるのです。
ありがたいことです。
そんなふうにしてしすたーずは、やっていて今では私はなんばしすたーずのメンバーのひとりになりました。
しすたーずは、基本的に「かわいい」が重要です。ただこの「かわいい」の中には多くのものが含まれています。
単純に「かわいい」だけじゃない、私たちの「かわいい」があるから厄介です。
そしてしすたーずは、「たくあん曲」が好きです。
たくあん曲とは、例えばアルバムの中盤などに良く入っている、いわば休憩曲です。
そんな曲を、しすたーずは「たくあん曲」と言います。主食ではなく、メインのおかずでもなく、かと言ってデザートでもない、お口直しのおしんこ。
このおしんこが、しすたーずではとても大切なのです。
これでしすたーずマスターになっていただけたでしょうか?
やっぱりしすたーずを言葉で説明するのはとても難しいです。
ただ一つはっきりしているのは、しすたーずは周りの人の沢山の愛情100%で出来ているという事です。
しすたーずを始めた当初から、地元群馬での公演はしすたーずの夢でした。
それを一度実現させ、またこうやって参加させていただけて、しすたーずは愛情をいただき沢山の方々に感謝しております。
ふつつか者の我々ですがどうぞよろしくお願いします。

 

 

f:id:yamagazakuro:20151018223529j:plain

 

 

なんばしすたーずの南波圭です。
こんにちは。
今日、友人から頂いたメザシを食べました。
『国内産 焼きめざし』という、なんてことはない普通の乾物です。
小腹がすいたから食べてみたのですが、正直びっくりするくらいこれがおいしかった。塩気加減が好みであとちょっとした苦みもあって、何しろ大きさがいい。
10cmくらいだから手で長く持つ必要もなく、3口くらいで食べられるので食べやすい。いやーこんなにおいしいなんて知らなかったなぁ。
こういう、他人にはどうでもよいかも知れないけどちょっとした発見が、なんばしすたーずの作品になっていきます。
だって見つけたことは誰かにいいたくなりませんか?
なんばしすたーずは姉妹なので、私はすぐ妹の早(サキ)にいいます。
もちろん彼女も喜んでくれることもあれば、相手にしてもらえないこともあります。それから喧嘩になったりもします。
そうすると『ケイちゃんはいつも正しいよ。』って言われます。
それで私は正しいことが相手を動かす訳じゃないことを知りました。
子供と演劇をつくっていてもそのことを考えさせられています。
最近私が気になっていることのひとつです。
と、こんなことを書いていますが、メザシについても、正しさについても、今回のお話に入るかどうかはわかりません。
でも『国内産 焼きめざし』みたいなものから世界がのぞき見えたりしたらいいのにっていつも思います。
では、劇場でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

藤井咲恵 × 清水帆波(24日) × 久保佳絵(25日)

  

f:id:yamagazakuro:20140413111950j:plain

撮影:齋藤優作

 

藤井咲恵

私はいつも群馬の実家に帰る時、高崎から沼田まで上越線に乗ります。私にとって上越線は、小学生の頃から高崎のバレエスタヂオに通うために、また大学生の時も、東京に住んでいたのですが、高崎で毎日深夜までリハーサルがある時期には、朝沼田から東京の大学へ行くために、高崎でリハーサルを終えて帰るために使っていた路線で、この電車の中で、本当にたくさん色々な事を考えました。最近、上越線に乗るとあんなこと考えてたな。とか、あんな想像をしてたな。とかを思い出します。上越線にたくさん乗っている時にはあまり気にしていませんでしたが、今は特に、沼田ー渋川間の景色は、緑が深くて川がその間を流れていて大好きで、最近実家に帰る時、群馬は自然が身近にあって良いところだなとしみじみ思います。
そんな10代の頃から今もお世話になっている、高崎沼田バレエスタヂオ、認定NPO法人Ballet Noahの瀬山紀子先生にざくろさんからお話があり、今回私たちが出演させて頂く事となりました。今回共演の清水と久保とは東京でC×Cというグループで一緒に活動しています。自分たちの作品を地元群馬で踊るのは初めての機会なので、ドキドキワクワクしています。
少し共演者との関係を紹介をすると、清水帆波とは同じバレエスタヂオに通い15年以上の付き合いで、東京でも1年くらい一緒に住んでいた事のある人です。C×Cの公演や、Ballet Noahの公演などたくさん共演はしていますが、デュオで踊るのは初めてです。魚を見るのと食べるのが好きな人です。久保佳絵は日芸洋舞コースの先輩後輩の間柄です。喋らなくてもいい意味でうるさく、さらに、喋ってもうるさいです。最近はその持ち味を生かして?!、役者としても舞台に立つ機会が増えています。
こんな私たちでお送り致します。

  

 

 


清水帆波

私は自分の一番古い記憶ではもうすでに踊っていたように思います。4歳の時には自分からバレエがやりたいと言って習い始め、夜の12時までレッスンというのが日常の小・中学生を送っていました。
高校生あたりからはコンテンポラリーなどにも触れ、運のいいことにファビアンプリオヴィル×バレエノアの「カミヒコウキ」という作品に出演、ドイツではピナバウシュ国際ダンスフェスティバルなどでも踊らせていただきました。
その後は認定NPO法人Ballet Noahに所属しバレエを教える傍ら、幼稚園、小中学校や被災地などに訪問公演しています。また、バレエスタジオの先輩で、今回一緒に踊る藤井咲恵ちゃん主宰のC×Cの活動をお手伝いしたりしています。25日の方に出る久保佳絵ちゃんもC×Cの可愛い後輩です。C×Cのマスコットキャラクターコガっち(@frog_kogach)も一緒にどうぞよろしくお願いします!

 

 

 

<ツイッターアカウント>
C×C(シー・シー) @cookie_x_cream
コガっち @frog_kogach
 

久保佳絵

今回共演する藤井咲恵さんは、大学の先輩にあたります。大学在学中に声をかけて頂いて、藤井咲恵さんが主宰する団体〈C×C〉の公演に出演したのをキッカケに、現在まで共演・共作の機会を重ねてきました。
私は、四国の徳島県出身です。姉がバレエを習っていたこともあり、3歳の時に当たり前のようにバレエスタジオに入り、踊りを始めました。高校卒業までの18年間を徳島県で過ごして、大学入学に合わせて上京し、今は東京での活動がメインになっています。
私は上京してから毎年、通っていたバレエスタジオの発表会で作品を上演しています。徳島は、舞踊や演劇のツアー公演が回ってくることがほぼありません。舞台芸術が全く身近でない土地です。だからこそ、東京で舞台経験を積む中で年に一度、作品を創って徳島に持って帰ることは、恩返しであり、挑戦であり、初心にかえる時間であり、私にとってとても特別なことです。
私自身、群馬県には3度ほどしか訪れたことがありません。ですが今回の企画に出演する群馬県出身の皆様は、それぞれに、私が地元で踊るときのような特別な想いをお持ちなのではないかと思います。自分もそうだからこそ、このような大切な場に参加させて頂けることをとても嬉しく思っています。
群馬の皆さまに、楽しい時間をお届けできればよいなと思います。

 

 

私とクラウン  ラブリー恩田

 

f:id:yamagazakuro:20150503144915j:plain

 撮影:橘蓮二

 

ざくろの一言:最初に恩田さんから送ってもらった文章が前のめりで突っ走ってて、読んでいて置いてきぼりを食らってるような感じがしたので、もっと恩田さんのこういうところが知りたいので長くなっていいですからと返信したところ、3,661文字の長文が送られてきました。一本気でまじめな恩田さんの文章をどうぞ最後まで読んでみてください。

 
ラブリー恩田と申します。クラウンです。
最初に書いた文章が余りにスカスカだったために山賀ざくろさんより細やかなダメ出しを頂きましたので、もともと頂いていた文字制限は度外視して、ざくろさんのつっこみにお答えする形で私とクラウンについて書いてみたいと思います。
高校生の時、演劇部顧問の荒井正人先生(今回演劇作品の演出で参加されています)に演劇という常軌を逸した世界や、当時の素晴らしい演劇作品を沢山教えて頂き、その後もずっと心にありましたが、高校以来演劇とは縁遠い生活をしていました。
が、3年間のお勤めの後、会社を辞め演劇部時代に憧れた劇団に入団。そのころ、昔劇団にいた女優さんによる「クラウンワークショップ」というものがあり、受講。
フロップ(=欠如、失敗、穴があったら入りたいお寒い状態、絶望、逆境)を逆手に取り、破綻しているのにオリジナルすぎるやり方で起死回生を図るクラウンという存在を始めて知りました。
当時やたらめったら色々な演劇ワークショップを受けまくっていたのですが、演技法は大筋では主だった物があるのですが、解釈を介すと教える人の数だけとなり、しかも受ける方も真剣なため、中には狂信的なもの、宗教と紙一重?と思うものもありました。
が、クラウンワークショップを通じてその女優さんの師匠、フィリップ・ゴーリエという人の、嘘くささや綺麗事やお高くとまったところのない、本音ベースで実践的で、かつ今までみたこともない位クリエイティブな演劇理論に、毎日目から鱗。嘘偽りなく心からワクワクしながら受講しました。
終了後も、この演劇の考え方をもっと知りたい!と思っていたところ、渡りに船、毎年開催されているらしいフィリップ・ゴーリエ氏の日本での2週間のワークショップのチラシを発見し、早速申し込み。
余談ながら、後で聞いたところ希望者多数で主催団体と関係がない新参者が受講させてもらえることはあまりないそうで、何か事務手続き上、幸運にも滑り込めたようでした。
その年のワークショップは、クラウンではなく演劇の基礎であるル・ジュ(le jeu=play  あそぶ、演奏する、スポーツをする、ゲームをする、演技する)と、ギリシャ悲劇でした。
いかに子供のように真剣に丸裸で人前に自分をさらけ出せるか、特にギリシャ悲劇では自分という小さなものを越えて、観衆、人類のための大きなものを寄せ、語れる媒介者となれるか。
舞台で真剣にトライしているどの人も、無慈悲にけっちょんけっちょん。フィリップは手に持った太鼓を一つ叩いては、アディオス!と即刻退場を宣言するのでした。
そんなワークショップ中日の、一日の終わりの質疑応答の際、優等生を気取って質問したところ、みんなの前に立たされて誰からも言われたくないような、しかしずっと待っていた言葉を、誰からも貰った事のないような強くて真っ直ぐな眼差しで言われたのでした。「You are boring, because you are alone. 君は退屈だ。なぜなら、君はひとりぼっちだから」「そんな風でいると、いつか自分で自分を殺す事になるよ」とも。
誰の助けも借りず、心を開かず、弱みを見せず、というプライドの高い人、いますよね。そんな感じです。
その眼差しに、この人は自分のリスクを背負って、届かないかもしれないこのきつい言葉を言ってくれているのだと分かり、その言葉がとても腑に落ちました。
言葉というものはその内容ではなく、その人がどういうつもりで言っているのかで伝わるものなんだと知りました。
今だにずっと私の課題で有り続けているその言葉を貰えたことが私の出発点と思います。
そこからの1週間は、他の受講生が引くほどなりふりかわまず当たって砕けてを繰り返しました。そして最終日に、どんな困難があっても絶対フランスのあなたの学校に行く!と宣言。
しかし、お金はないしフランス語は話せないし一体いつ実現できるのか自分でもわかりませんでした。
調べてみると、言葉に関しては幸いな事にもともと学校がイギリス政府の招聘でロンドンにあった事もあり、イギリスの演劇界と所縁が強い事もあって、フランスに移ってからも授業は英語でした。私は両親が英語教育に熱心でいてくれた為に英語にはあまり抵抗がなかったのです。
お金も友達の後押しなどのお陰でなんとか調達できる事に。ビザもギリギリで申請が間に合い、なんと、ワークショップから2ヶ月後、フランスのフィリップの学校の門を叩いていました。入学式の日に、学校でフィリップと再開した時の感動は忘れられません。
授業は全て、フィリップのひどいフランス語訛りの英語です。彼の歯に衣着せぬ物言いは、英語圏以外の人にはまたきっと酷いこといってるんだな、わはは、となるのですが、英語圏の子達は今まで生で発せられるのを聞いたこともないような辛辣で酷い単語が連発するので青ざめていました。ですが、全て欺瞞の余地のないユーモア。それによって、沢山の硬い殻が破けたところを、2年間何度も目の当たりにしました。
「全てはあなたの本当の歓びのためにやりなさい。人生は歓ぶためだけにあるのだ」というのが最も基本的なフィリップの考え方です。「自分が心から喜んでいないでやっているものなど、観客も見るに堪えない」というのはそりゃそうですね。「演劇は、子供の遊びと同じくらい真剣なものだ」とも。
学校では、ル・ジュ、ギリシャ悲劇、マスク、シェイクスピア、メロドラマ、劇作と演出、チェーホフ、バーレスク、クラウンなどなど一通りのジャンルの授業を受けます。それは、人類が培ってきたそれぞれのジャンルの素晴らしさ、美しさ、荘厳さを知るためのものであり、それと同時に「自分の心が喜ぶ自分の演劇を、自分の喜びに導かれて開拓しなさい」というフィリップの教えを実践していくためのものでもあります。
フィリップは自分の師匠を「He was a man who waits.(彼は待つ人だった)」と評していました。フィリップ自身もそうだと思います。ずっとほったらかしでもう私に関心などないかと思った頃、一番必要な事を一番効果的にいう人です。本人が知らないところでずっとじっと見守り続け、聞く耳を持つ機会や時期を忍耐強く待ってくれる人です。人を変えるプロとして、人が変わるというのは、それはそれは大変で、一筋縄で行かないことをよく知っている人です。
名言だらけなのですが忘れられないのは、「I pray, I pray, I pray...(私にできるのは祈るだけ)」と冗談交じりでつぶやいた事。演出家、先生ですが、変わるか変わらないかは本人の問題。また、「良い俳優になろうと思うな、良い人間になろうとしなさい」と言っていたのも忘れられません。「上手くやりたいではなく、より学びたいと言いなさい」とも。
2年間のコースを終えるとフィリップのサインが書かれたディプロム(修了書)が与えられます。これはギャラの水準をあげたりだとか、オーディションに受かりやすくなったりの役に立つわけではなく、言って見れば単なる紙切れでしかありません。ただ、私たちにとっては、生涯物凄く価値のあるものです。
あとは実践あるのみ、自分の道をエコール・フィリップ・ゴーリエで学んだ事を思い出し思い出ししなが、歩んで行くのみです。
私は2年間を通して、あらゆる演技部門でくそ味噌でしたが、不思議とクラウンの時だけは何度か褒められる事もありました。2年生は各コースの最後の1週間は作品発表公演なのですが、ほとんど誰も組んでくれないほど酷い大根。ところが、2年間の一番最後のコース、クラウンでは引っ張りだこで、稽古のかけもちが大変。今までが今までだっただけに、本当に信じられない位幸せでした。
といったわけでやっとクラウンにたどりつきました。
クラウンの公演は、前にあげたフロップ、つまり窮地、ピンチがやって来ては、終わりがくるまではそれに破れかぶれでもなんとかして対応していく、という時間です。私には人生と似ていると思えます。
クラウン作品にメッセージはありません。フィリップは現役クラウン時代、『皿』という、100枚の皿を割り続けるだけという作品でヨーロッパ中の主だった劇場から引っ張りだこだったと言います。
日本でクラウンと似ているものは、狂言の太郎冠者や次郎冠者、落語の熊さんはっつぁんです。ただ、狂言師や落語家はクラウンではなく秀逸な喜劇役者といえると思います。また、漫才でいえばボケの方です。ある意味、真剣にボケ続けるのがクラウンと言える気がします。
私が目指しているのは、フィリップが言うところの、「誰しもクラウンのキャラクターはひとつしかない」という、自分のクラウンを磨いて行く事です。それが何の役に立つのかは分かりませんが、私が人生で出会ったものの中で一番シリアスで真剣なものだと思えるからです。
いつかフィリップのように、よりシンプルに、ただフロップと綱渡りするだけで時間を紡ぐ作品を作ってみたいと思います。

 

↓公演の映像がこちらで見られます。

ラブリー恩田/クラウンショー 内緒の話

 

※ラブリー恩田さんの伊香保アバンギャルズ初夢大博覧でのパフォーマンス映像はこちらで見られます。前半のみですが、重力に関する考察をユニークな視点で語っていて笑かしてくれます。
http://yamagazakuro.hatenablog.com/entry/2015/10/07/013217

 

Abe “M” ARIA !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! アベ エム アリア

 

f:id:yamagazakuro:20130622185423j:plain

 

なぜか知らねど前橋で生まれ、前橋で育ちました。踊り始めたのは前橋での高校時代。それまでダンスなんぞには全く興味なかったのですが、ダンス部の発表会で観たある作品にビビッ!"ときてしまい、即入部。早弁をかましては昼休みっから踊りまくる、ダンス三昧の日々を過ごしたのでした。卒業後上京しても踊り続けたい!ダンス部時代のように自分の好きなように踊れる場を求め、様々な舞踏家やダンサーのワークショップに参加してみたのですが...、そんな場そうあるはずもなく、フラストレーションで暴れまくっていたように思います笑&汗...)。結局独自の稽古を始め現在に至るのですが、暴れてた中でもこれは!と嗅ぎ取ったものは、ちゃっかり今でも自分の稽古で続けています。デヘッ。
そんなこんなで、前橋を離れてから踊った時間のほうが遥かに長くなりましたが、踊っていくうえで大切なことをたくさん前橋で学びました。それはダンス部の恩師の言葉だったり(からだってのは生易しいもんではない。日々の稽古を怠るべからず。みたいなこととかいろいろですが、いざって時には"とにかく思い切ってやりなさい"、といつも背中を押してくださいました。)ダンス部の発表会にゲストで来てくださった、大野一雄先生の踊りだったり(あんな厚化粧のおじいさんを見たのは初めてだったのでちょっとひきましたが笑)、ストレッチもそこそこ、いきなり舞台で踊った先生がでかく見えたこと!人のからだの持つ不思議な力を目の当たりにしました。) ...ダンスの芽は私の中にあったのかもしれませんが、それが育っていく大切な時にとても濃い~養分をもらいました。前橋、サンキューーーー!です。
私が前橋にいた頃は、ダンスといえば大ホールでありきたりのモダンダンスを観るくらいの体験しかできなかったので、自分が前橋で踊るなんてことは想像もできませんでしたが、2001年に「踊りに行くぜ!」という企画に出演して以来、ありがたいことに前橋でも踊る機会が増えました。ここ数年は "アバンギャルズ" 関係で度々踊らさせていただき、毎回楽しませてもらっちゃってます。今回の盛りだくさんの企画も、多くの方に観に来ていただけると嬉しいです。
昼休みに講堂でグルグル回っていたら、一瞬マジでからだが宙に浮いたと思った!初期衝動のみで突っ走っていたあの頃を忘れることなく、これからも踊り続けていきたいと思っています。カッコいい "オバンギャルズ" になるべく精進してまいりますので、皆様どうぞよろしくです!

 

f:id:yamagazakuro:20130622190727j:plain

写真:手塚愛子

 

 

「フランケンシュタインと自動人形」 “POP HEADS” 公演

  2014.12.13 POOL&COLDBEER 交水社

 

*“POP HEADS” はAbe “M” ARIAと神林和雄のダンスユニット

 

 

 ファッション・ブランド "algorithm" PV   Abe “M” ARIA出演