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黒沢美香さんの名づけ親は石井漠だった。

 

たまたま図書館で借りてまだちゃんと読んでなかった本(もう返却日が過ぎている)『踊る人にきくー日本の洋舞を築いた人たち』に以下の記述があった。

 

(美香さん)<子供でしたから、自分では記憶がないんですけど、アルバムを見ると漠先生と写っている。あと、私の美香という名前は漠先生がつけてくれた。踊るときは黒沢美香で、ふだんは黒沢美香子と子がついている。戸籍上は美香子です。それで、わたしが生まれた時点でそこまで指定されていた。決められていたことに不満がありました。踊る、踊らないのは私の勝手であって、どうして生まれた時に踊るときは美香、踊らない時は美香子と決めるなんて、失礼じゃないかと思っていた。今となれば、ものすごく感謝しています。>

 

美香さんのお父さまの輝夫氏は石井漠の弟子だったのは知らなかった。輝夫氏が18歳くらいのときに舞踊団に入門し、入って2ヶ月後の前橋での公演が初舞台だったんだとか。戦後まもなくの1947年(昭22)頃のことで、当時は地方公演が多く、前橋公演は群馬県教育委員会の主催。復員してくる人たちが多い時代で、汽車になかなか乗れないので、教育委員会のトラックが自由が丘まで迎えに来たんだとか。

 

わたしの祖母は、若い頃に前橋で石井漠のダンスを見たと、生前話してくれたことがあったけれど、もしかして輝夫氏が初舞台のその公演だったかもしれない。

 

本には輝夫・美香親子でデュオを踊る石井漠作品『山を登る』に関する記述があるのだけれど、天国の舞台で黒沢親子がいっしょに踊っているを祖母が見ているところを想像してみた。

 

デュオといえば、5年前の夏に恐れ多くも美香さんとデュオ公演をやらせていただいた。美香さんとは2008年と2009年の「手塚夏子企画/道場破り」でごいっしょさせていただき、短いデュオを踊るなど、お互いのダンスの手法を交換する機会持たせていただいた。そんな縁もあり、一度ちゃんとデュオ作品をやらせてもらえたらなという思いで、美香さんに共演をお願いしたのだけれど、すみだ川アートプロジェクト2011参加プログラムとしてアサヒ・アートスクエアで『沙羅等~黒沢美香さんと共に~』を上演した。ほんとうに贅沢な貴重な体験をさせていただいた。

 

今日の美香さんの葬儀・告別式には参列できないので、この文章を書きながら祈っています。美香さん、どうもありがとうございました。安らかにお眠りください。合掌。

 

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                                       撮影:鎌田幹子