小出和彦 荒井正人 か・く・語・り・き

 

伊香保アバンギャルズに初参加で今回演劇作品を上演する小出和彦【脚本】、荒井正人【演出】の両氏に寄稿していただきました。

 

小出和彦

難解でかっこいい演劇をやりたいとおもっている。なぜかと誰が尋ねるわけでもないのに勝手に答えるなら、演劇の周辺にいてその曖昧な外縁を少しでも広げてみたいという欲望があるからだ。もちろんそう思いながらもやっていることが本当に新しいかどうかはわからないし、また芸能化した演劇をどうこういうつもりもない。ただ演劇がどこまでいけるのか、みてみたいしやってみたい、そういう欲望があるのです。だからわたしの演劇は必ずしも多数派ではないかもしれない。ある種の洗練が進み、みんなが同じところで笑い似たような悲しみを感じてそれを感動と呼ぶなら、そしてそれを最大公約数的に用意できたものが多数派となるなら、わたしはそういうのに興味はないし、わたしじゃなくてもいいとおもう。だいたい多数派なんて存外ろくなものじゃないことは昨今の政治の風景を見ても明らかだ。多数派を獲得するのが目的なら表現なんてそれこそ割があわない。もう動員数で水準を語る時代は終わりでいい。演劇の使命は、数ではなく質と関係性そしていかにその演劇を必要とする人にとどけるかだ。
この夏高齢の母親が転倒事故で入院した。脳挫傷だった。仕事に加えて家事やら雑事に忙殺され公演や展覧会に行けないでいると、なにか自分を支えるものがあきらかに欠乏してきていて、そのために日々を渡り切る力が目減りしているのが感じられた。時間をつくってなんとか出たい行きたいとおもうが、行ってる場合かともおもうし、こういう余分な葛藤が更に神経をすり減らす。結局あきらめて寸暇は横になるが疲れが抜けるわけでもない。さいわい母親は順調に回復したが、先の見えない介護とか育児とかに忙殺されている人はこうやってすり減っていくのかもしれない。その時におもったのはそんな時ほど人は藝術を必要とするということだ。劇場や美術館に行けない人が病院の壁の一枚の絵に安息を得たり、仕事の途中カーラジオから聞こえた音楽にささくれた気持ちが和らぐようなことがある。もちろん作品の評価とは関係ない。わたしたちが普段気にも留めない場所や時間のなかに、その時誰かが必要とする藝術がある。わたしじしんがそういう鬱屈した日々のなかにあって実感したことだ。たぶんあらゆる藝術は誰かそれを必要とする人のためにある。その誰かは自分ではないかもしれない。でも自分の理解しがたい表現に出会った時、その表現を必要とする人は誰だろうと考えられたら、とおもう。それははるか遠くの、まるで知らない人のために祈るような気持ちだ。

 

荒井正人

始まらないエンゲキがいくつもいくつもあって、その分だけ終わらないエンゲキがあったような気がする。わたしたちはいくつもの夜を見送り、そのことで昼の世界とコミットしレキシを生きたと思い続けてきた。いま、彼は誰時の川岸に、めにもとまらぬ光芒を纏うとき、禍々しくも、ちいさな時間が現れることを図することとなった。ここで水がいくつかの流れに交わり、確かにあったことや、けしてありえなかったことや、光や影や現象の転移や ことやものやおとやの、つらなりそのものが、ふるえてみえてくる夕景になればこれにこしたことはない。エンゲキという領域にかかわって四十年余になる、できなかった想いだけが、無数のレイヤーになってかさなり、現在がよく見えない。ダンサー ヤマガさんとフィロソファー コイデくん、そしてオトナウオトビト オノダさんの企図を得て、なぜか、サクタローではなく、ミヤザワケンジが広瀬川の河畔のダンスホールでヌッとささやきはじめる、その浸潤のコレスポンダンス。
 

ざくろの二言三言:これまでの伊香保アバンギャルズの公演では、ソロまたはデュオの女性アーチストに自作自演の作品を上演してもらいました(番外編と山賀作品を除く)。今回は前橋で上演するにあたり、小出、荒井両氏のそれぞれ作、演出で地元在住の女性演劇人が出演する作品をということでお願いしました。出演者の堀口美奈子さんは地元で数多くの演劇作品に出演されてますが、植松知音さんと多賀谷美紀さんはこれまでがミュージカル中心の活動でしたので、歌やダンスがなく演技の方法論も異なる演劇作品への出演は始めてとのことで、戸惑いと新鮮な気持ちが交錯する中で稽古が進められています。小出、荒井両氏はお互い旧知の仲でありながら、こうしてひとつの作品を創作するのは始めてとのことで、今回のコラボレーションがどのような作品に結実するのか、わたしも出演者のひとりとして稽古にごいっしょさせていただきながらいろいろと夢想しております。さらに、小出さんのオファーで、サウンドデザインで参加してもらっている小野田賢三さんが構築する音や音楽が、作品の中で聴覚的にも視覚的にもひとつの風景として立ち上がっていく様を目撃できることに期待が膨らみます。