お盆だぁ〜 ダンス踊ったぁ〜 演劇観たぁ〜

 

土曜の午後に山賀家の墓参りに行く。おやじが亡くなったときに建てたお墓だからもうじき50年になる。ここにはおやじのあとに他界したじいさんとばあさんも眠っている。わたしもいずれここに入るのだろうか。ちょっとまだ全然イメージできない。

 

遺骨は墓石の下にあるのにその魂は天に召されているのだろうか。なんかよくわかんないな。仏教キリスト教がごちゃまぜですかね? 盆踊りで天を仰ぐポーズは、ご先祖様に元気な姿を見てもらうという意味があるらしいのだけれど。

 

夜は詩人の新井隆人さんのお誘いで、新井さんの詩の朗読と國崎理嘉さんのガムランの演奏で少し踊らせてもらった。ライブハウスだし、対バンのソロ3組の出演者は若手の弾き語りの人たちで、彼ら彼女ら目当ての若いお客さんの前(おまけにめちゃくちゃ至近距離)で踊るのはかなりのアウェイ感があって、目線の向ける先とか気になりつつも踊ったわりにはまあまあ楽しくできて自分としてはよかったのだけれど、イベントの最後におじさんの即興ダンスを見せられた若い彼ら彼女ら観客は何を思ったのだろう。

 

日曜は地元の劇団の公演をふたつ観劇。何かいいところを見い出せないかと、自分としては我慢強くどちらの劇団も複数回見ているのだけれど、今回もやはり少しばかりの期待は見事に裏切られてしまった。脚本と演出を司る人の責任は重い。もうこの劇団の公演を見ることはないだろう。

 

東京の演劇はすごくて地方の演劇はダメとは思わないけれど、地方の場合上演された作品に対して何らかの批評性を持った言説が当事者に届きにくいというのはあると思う。アマチュア演劇なんだから自分たちで楽しくやれればそれでよしとするのかもしれないけれど、その活動にいくばかりかの公費が使われているとなると一市民としては一言言いたくもなる。

 

これまで自分のダンスや作品に対して批判されたこともあったし、そういうときは自分の全人格が否定されたような心持ちになったりもしたので、自分としては特に親しくもない当事者に面と向かって批判することはしないけれど、近しい関係にある人はもうちょっと突っ込んだ意見とか言ってあげればいいのに。

 

わたしは熱心な演劇ウッチャーでも付き合いで演劇を見るわけでもないし、今という時代を生きる人たちの身体性から何かを感じられればと思ってたまに演劇を見る程度なのだけれど、地元の高校演劇なんかでおもしろいのもあるし、若手で野心を持って貪欲に活動を企てている地元の演劇人がいるならば応援するよ。