大晦日に紅白歌合戦を見る前に... 始まっちゃので見ながら...

 

PPAPも恋ダンスも自分でまねして歌ったり踊ったりはぜったいしないけれど、今夜の紅白でピコ太郎がどんなパフォーマンスをするのかちょっと楽しみだし、審査員の新垣結衣星野源の歌のときにいっしょに踊るのかどうか気になるところ。

 

今年最後のブログなので紅白見る前に少し真面目なことを書いておくことにした。

 

たまたま先程Twitter経由で読んだある方のブログに、パールハーバーでの総理の演説で戦争をポエムのように語っていたとコメントした評論家の保坂正康氏が、特攻の整備兵だった老人の語ったことを書いているとして、その一文を次のように紹介している。

 

(前文略)突然訪ねてきた老人が語ったのは、飛び立つ日の隊員の真の姿でした。

「失神する、失禁する、泣きわめく。きれいなことを言って飛んで行った人もいたが、ほとんどは茫然自失だった。それを私たち整備兵が抱えて乗せたんです。」

この話に衝撃を受けたのは、わたしもまた人間の真実から目を逸らして、特攻を一編の美しい民族の詩のように思ってきたからなのでしょう。(以下略)

http://taninoyuri.exblog.jp/26275055/

 

飛び立つ日の特攻隊員の真の姿を知るにつけ衝撃を受ける。彼らの死への恐怖を想像するに胸が締め付けられる思いだ。永遠の0で特攻が感動的に描かれていようがやはりそれはフィクションであるということ。

 

大河ドラマ真田丸だって要は戦争の話だ。真田丸は見ていなかったのだけれど、終盤に差し掛かるに従ってやたらテレビやネットでの盛り上がりが気になったので、最終回を録画しておいて後で見てみた。ほとんどが戦(いくさ)のシーンで、これフィクションだから平気で見てるけど、槍で目の前の敵を刺し殺すなんてことをその当時は実際にやっていたということを想像するに、こうして人を殺し合うのが当たり前の世の中はやはり狂っている。

 

兵器や戦い方は違えど今のイラクなどでの内戦におけるすさまじい状況を鑑みれば、それと同じようなことを当時の日本でもやっていたということ。大河ドラマでは主要な人物やその周辺の人間模様を感動的に描いているけれど、戦いに明け暮れるような世の中で多くの普通の農民や子どもたちが犠牲になっていたのではないだろうかと思いを巡らしながら、真田幸村役の堺雅人の熱演を覚めた目で見ていた。

 

真田幸村徳川家康に「お主のような戦でしか生きた証を示せぬような手合いは、生きていくところなどどこにもないわ!」と言い放たれた言葉に言い返す。「そのようなことは百も承知。されどわたしはお前を討ち果たなさねばならぬのだ。我が父のため、我が友のため、先に死んでいった愛する者たちのために」

 

こうして憎悪と復讐に燃える真田幸村役の堺雅人の迫真の演技はすごいのだけれど、人を狂わせるような世の中はやっぱりおかしい。ドラマで感動するもよし。でもドラマを見た後には現実の世の中に目を向け、間違っていることにはちゃんと異議を唱えることもしないといけない。

 

これを書いているうちに紅白が始まってしまった。見始めるとパソコンの画面から離れてつい見てしまう。書くのが止まり時間がかかってしまった。ピコ太郎のパフォーマンスはわりと普通だった。椎名林檎の曲の都庁前でやったパフォーマンスは多数のエキストラと映像を使っていてよかった。けれど、ある意味こうした過剰な演出に慣らされてることにも我々視聴者は注意しないといけない。目の前でからだひとつで踊るダンスで人を感動させることもできるのだから。

 

椎名林檎が歌う後方にど〜んとそびえ立つ都庁が存在感を示していた。小池知事には頑張ってほしい。今後の都政も気になるところだけれど、来年のこの国や世界はどこへ向かって行くのだろうか。それを想うと憂鬱な気持ちにもなる。けれど、来年は卯年だしカラ元気でも笑顔でぴょんぴょん跳ねるよ!!早速明日から跳ねてみよう!!

 

 

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          (着ぐるみの中はわたしです)

 

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          以下新年になってからの追記です。

 

紅白を見ながらブログを書いていたからか、今年の干支は酉年なのに何を一瞬勘違いしたのかうさぎの写真を載せてしまった。暗い気持ちにならずにぴょんぴょん跳ねよう!と書こうとしてたから卯年にしちゃったみたい。さっきテレビでにわとりのかぶり物をしている人がいたので間違いに気がついたのだけれど、新年早々ちょっとはずかしい。ピコ太郎2回目のPPAPで第9とのコラボはおもしろかった!!